2013年04月02日

Andrea Luithle-Hardenberg 博士講演会

来日中の Andrea Luithle-Hardenberg 博士の学術講演会が、先日(3/31)に大谷大学で開催されましたので、参加してきました(というか、司会もしてきました…)。

Luithle-Hardenberg 博士のご専門はジャイナ教を中心とする人類学です。2011年には、ジャイナ教徒のシャトルンジャヤ山巡礼に関するご自身の博士論文をまとめた大著、Die Reise zum Ursprung: Die Pilgeschaft der Shvetambara-Jaina Berg Shatrunjaya in Gujarat, Indien をドイツの Manya Verlag より上梓されています。現在はチュービンゲン大学の Assoziierte Wissenschafterin としてご活躍中です。

今回の講演は "Jaina Bal Munis: Disputes on Ascetic Children in Western India" と題されたもので、現代の西インドにおける白衣派ジャイナ教、特にタパー・ガッチャにおける「幼児」の出家についての諸問題についての報告でした。ジャイナ教では、古来より8歳からの出家が認められています。この伝統は現在でも続く一方、このような、子供による厳しい出家生活が、西洋的あるいは近代的、科学的と称されるような、子供の健康や教育、あるいは子供の人権という観念とは相いれない点を抱えている事も、事実です。

上記のような点を踏まえ、今回の御講演では、まず白衣派ジャイナ教における幼児出家がいかに行なわれるか、イニシエーション儀礼と日常的な実践、また出家者に課せられる種々の戒律について概観されました。

次に、子供を出家させる事の是非についての、ジャイナ教内部での歴史的な議論および、現代の法的な論争について紹介されました。幼児出家に対する現代の批判の例を挙げてみますと、例えば「こどもたちは、厳格な出家生活のせいで栄養失調になる」「こどもたちの健康が配慮されていない」「こどもたちの自由意思を否定している」、等々。

最後に、この様な「幼児出家」を巡る問題を研究対象とするにあたって現れる諸問題、例えばこういった現象を参与観察する際の倫理的なディレンマや、子供の agency をどの様に考えるか等、どの様な事が有り得るか、議論をされた後、討議に移りました。

討議では、そもそも "agency" とはいったいどう定義付けられるものなのか、幼児出家といった場合にジェンダー間の差異はあるのか、といった質問をはじめ、活発に議論がなされました。で、せっかくの機会ですので、私も質問させていただきました。

私の質問というのは、博士が「父親と子供が同時に出家する例がある」とおっしゃったのを受けて、「父親が先に出家して、後で子供をリクルートすることはあるのか?」というものでした。答えは Yes でしたが、これは実は不思議な話です。というのも、出家者になる以上、家族の絆 (family bonds / ties) は断ち切られているのが、建前です。しかし、親が子をリクルートする以上、疑似的とはいえ、何らかの形で「絆」は継続して残存していることになります。この点については、博士も注意を払っておられるようでした。

今回の講演は、質疑を含めて2時間近くに及び、また年度末の日曜日にも拘わらず、遠方からも先生方にお越しいただくなど、会としては非常に充実していたと言ってよいでしょう。また、ふだん文献学を中心に研究しているとなかなか接することができない、人類学的なアプローチでの研究に接するという意味でも、大変貴重な経験だったと思います。

以上、簡単ですが、上記講演会の報告を終わります。Luithle-Hardenberg 博士のこのご発表は、論文としてもご発表されるとのことでしたので、楽しみに待ちたいですね。
posted by yk at 20:01| 京都 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | キャンパス点描 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 yk先生、有難うございます。

 先生がなさった「先に出家した親が子どもをリクルートする」という例として、仏教での鳩摩羅什とその母耆婆の例が思い浮かびました。
 耆婆は、単に王族の出身であったというだけでは無く、出家者・修行者としても非常に優秀であったと伝えられていることから、仏教においてもyk先生の疑念が当てはまりそうですね。
Posted by huang at 2013年04月03日 05:35
yk先生がFacebookやTwitterで告知下さっていた旨をコメントに書き込もうとしたら、エラーが出てしまいました……。
新しい記事として書き込みましたので、そちらをご参照下さい。
Posted by 慧思 at 2013年04月03日 06:56
コメントありがとうございます。

以下、補足です。

「幼児」という言葉づかいには違和感があるというお言葉をいただきました。私自身、違和感はあるのですが、「児童の出家」といういい方もあまり自然とは思えず、とりあえず「幼児」のままで残しておきます。あるいは「稚児」という言葉を使うべきなのかもしれません。

それから、人権派から批判の第1は「教育を受ける権利を奪われている」という話だったということです。私のメモからは脱落しておりました。失礼いたしました。
Posted by yk at 2013年04月03日 08:42
仏教における「児童」と「児童性」に関する論文集が昨年10月に出版されていましたので、以下補足:

Vanessa R. Sasson (ed.), Little Buddhas: Children and Childhoods in Buddhist Texts and Traditions, OUP, 2012.10.

私は未読・未入手ですが、table of contents を見る限り、興味深い論考が並んでいる、という印象です。
Posted by yk at 2013年04月08日 11:32
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