2015年11月27日

親鸞エッセイコンテストに仏教学科在学生が優秀賞!

 親鸞エッセイコンテスト「親鸞さんに、いま、伝えたいこと」の表彰式が、11月22日(日)の大学報恩講に合わせて行われました。
 授賞式の様子が、大学のウェブページに掲載されています。
「真宗大谷派学校連合会共催事業 親鸞エッセイコンテスト「親鸞さんに、いま、伝えたいこと」表彰式」

 このコンテストに、仏教学科3回生の奥岡沙英子さんが優秀賞を受賞されました。

 おめでとうございます!


賞状を手にした奥岡さん。恥ずかしいのか、顔を隠してます(^_^;)。
 ということで、受賞作品を転載致します。

大学生部門 優秀賞


大谷大学文学部仏教学科 第3学年
奥岡 沙英子


 私たちが生きているこの時代は、驚くほど便利です。多くの情報が飛び交い、流されていきます。それと同時に、自分にとって本当に必要なものさえも流されてしまっている様な気がしてなりません。
 例えば、世界のどこかで痛ましい事件が起きた事を知ったとします。しかし、その記憶はきっと、一週間もすれば新しい情報で塗り替えられてしまうでしょう。私たちにとってネットやテレビなどで得られる温度のない情報は、限りなくフィクションに近い物なのでしょう。私も、心のどこかで自分とは関係のない遠い世界の出来事だと受け流してしまいます。
 親鸞聖人は法難にあった際に、対立する立場の僧たちを「然るに、諸事の釈門、教に昏くして」と評しています。「教に昏い」つまり教えを正しく知る事が出来ていないために彼らはそうせざるを得なかった。決して彼らを批判するのではなく、むしろ案じているようにさえ感じられます。
 仮に私が迫害される立場だったとして、そのように対立する側の人々を案じる事ができるでしょうか。同じように、それを傍観する第三者だったとしても、できるはずがありません。私たちには、物事を傍観し他人事として受け流す癖がついています。誰もが「自分には関係ない」と考えた事があるのではないでしょうか。
 また、すべての生きとし生けるものから不安や苦しみが無くなるようにと、心から願えない私がいます。例えば、罪を犯した人を見て「悪い人」と決めつけます。親鸞聖人が「さるべき業縁のもよおせばいかなるふるまいもすべし」と仰ったように、誰もがそうなり得るはずなのに、自分には縁のない事と考えています。どうすれば人びとの悩み苦しみに寄り添い、考える事ができるのか。親鸞聖人も葛藤したことでしょう。私たちにとって大きな課題です。
 いつの時代も私たちは、色々なことを見失い惑わされて生きていますが、本当に大切にすべき事はきっと常に同じなのでしょう。

posted by 慧思 at 11:24| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | キャンパス点描 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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