2007年11月23日

五台山顕通寺

今回の研修旅行前半は主として山西省を旅しました。先日ご紹介した雲崗の石窟以外では文殊菩薩の霊地として名高い五台山も重要な場所です。

その五台山の中心となる寺院である顕通寺の風景。

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慈覚大師円仁が入唐した際の「大華厳寺」にあたります。
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これは「銅殿」。五台山に限らず各地の観光者の多さにはびっくりしました。

2007年11月15日

敦煌莫高窟

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中国三大石窟最後は敦煌莫高窟。
石窟自体の規模と壁画等の壮麗さは予想以上のものでした。
窟内の写真撮影は禁止。

2007年11月02日

雲崗

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ganko先生が紹介されていた則天武后の故郷「太原」は現在山西省の省都になっており、今回の旅行でも一泊しました。その山西省の「大同」という街(かつての北魏の都「平城」)にある、もうひとつの中国三大石窟が雲崗石窟です。

2007年10月29日

則天武后と『華厳経』

10月26日のfukujuさんのブログにコメントしたら、エラー表示が出てしまい、理由も分からず、もう一度コメントしたら、両方アップされていました。お恥ずかしい。何せおじさんのすることは、危なっかしいのであります。
 ところで、龍門の盧舎那仏、わたしはまだ見たことがないのですが、ぜひ見てみたいと思っています。洛陽は、則天武后が実権を握ったときの事実上の都で、『華厳経』は、肝いりの法蔵を介して、ホータンからテキストと訳者(実叉難陀)を将来して作らせたものです(『華厳経』が盧舎那仏を開いていることは仏教学科の常識ですね)。その上、武后はそれを全部立派な石に刻んで、先祖供養のために太原の寺に奉納しました。太原は武一族の出身地だったのです。その上、中国のあちこちに太原寺という大きな寺を作ったり、多くの人を出家させたりしたのもすべて先祖供養のためでした。よほどひどいことをした一族だったのですね。まー、そんこんなで大変なひとなのですが、この時代が権力者の不安が元で仏教研究や文化が発達したことは否めません。何せ、馬鹿でかいものを作る人はよほどの自己顕示欲を持ったひとか、そうでなければ巨大な不安にさいなまれたひとであったに違いありません。そういうことも含みながら、一体どれほどのものを作ったのか、とにかく一度は拝見してみたいものの一つです。

2007年10月26日

中国研修旅行

お初にお目にかかります。fukuju ともうします。

すっかり秋になってしまった今頃になってなんですが、8月下旬に実施された中国仏教遺跡研修旅行の写真を少しご紹介していきたいと思います。

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 中国三大石窟のひとつ「龍門石窟」にて。「九朝の古都」と呼ばれる洛陽にあります。これは則天武后をモデルにしたとされている大仏(廬舎那仏)像です。