2009年01月23日

法華経現代語訳(12)

『法華経』を読む(2) 授業配布プリント(11) (1月20日授業分)

(11の続きから)
求める気持ちが深まった      そのとき現れ教え説く
神通力は以上なり          無限のときのどの時も
つねにお山(霊鷲山)や       そのほかのあらゆる場所に居りまする
人はこの世が大火事に       焼かれ無くなると思うとも
我がこの国は安穏に        天人つねに満ち満ちて
森や林やたてものは         多くの宝に飾られリ
木々は麗しき花実をつけ      多くの人が憩います
天は楽器を打ち鳴らし       妙なる調べを奏でます
空から曼荼羅降り注ぎ       仏と菩薩を飾ります
私の浄土は壊れない        なのに人々誤りて世界は焼かれ
苦しみと恐れと憂いに        満ち満ちた世界と勝手に誤解する
これらの罪の人々は        悪業因縁重なりて
阿僧祇劫をすぎれども       仏法僧を聞くこと無し
あらゆる功徳を身に着けて    柔らか素直な人のみは
私の真のすがた見て       つねに法説くことを知る
これらの人に対しては       仏寿は無量と説き教う

(12)
これから功徳を身に着ける   人には仏は遭い難きと
教える力は以上です       智慧は無量に輝きて
寿命の劫は限りなし       因位の功徳の結果なり
智慧ある諸々の人々よ     これを疑うこと無かれ
疑い断ちて無くすべし      仏の言葉に嘘は無い
薬を飲まぬ子供たち       救わんために父医者は
自分は死んだと芝居打つ    これを嘘とは言いませぬ
私はこの世の父として      苦しみ患う人々を助けることが仕事です
逆転している人々に       説くため仮に滅度とる
私をいつも見ていては      おごりの心が起きるゆえ
この世の五欲に執着し      流転の中に沈みます
私は衆生の心知り         やるかやらぬかよく見抜き
人に応じて様々に         種々の教えを説くのです
常に心に思うには         何によりてか人々を
無上の道に進み入れ       速くブッダにすることなり

         

2009年01月15日

法華経現代語訳(11)

『法華経』を読む(2)授業配布プリント(10) (1月13日授業分)

(10)
私が仏となってより      過ぎたるところの劫数は
無量億歳            無量なり
常に法説き導きて       無限の人を
仏道に入らしめてより     無量なり
人を教えんためにこそ    仮に涅槃を現わせり
しかも実には滅度せず    常にここにて法を説く
私は常にここにあり      神通力もて
逆転の人に喚起し       隠れたり
人は仏は死んだぞと     思いて骨を供養せり
悲しみ慕うこころ持ち     会いたい気持ちが高まって
心はようやく落ち着いて   素直で柔らかとなったとき
ひとえに仏に会いたいと   心も体も投げ出した
そのとき私は弟子たちと   ともにお山(霊鷲山)に現れて
人に教えて語るには     私は決して滅度せず
人を導く力もて        滅と不滅を現わせり
よそに仏を敬いて      求める人がいたならば
我また彼のためにこそ   無上の法をば説きまする
諸君はこれを聞かないで 私は死んだと考えた
(11)
私は衆生が苦しみに     沈む姿を見ればこそ
すがたを消して人々の    求める気持ちを喚起する    

2009年01月10日

法華経現代語訳(10)

『法華経』を読む(2) 授業配布プリント(9) (1月10日授業分)

(良医と子供の喩えを説き終わって、仏は聴衆にお尋ねになった。)「諸君、君たちはどう思うかね。一体、どのような人がこの良医に偽りの罪があると説くことができますか、それともできませんか?」と。(すると聴衆が答えた)「できませんとも。世尊よ」と。

(すると)仏がお説きになった。「私も同様なのです。(私が)成仏してから今まで、無量無辺、百千万億那由他阿僧祇劫(という無限の時間)なのです。衆生を教化するために、仏の方便力によって(私は本来無限のいのちなのだが)もうすぐ滅度に入るであろうと説きました。(しかし)その事において、私に偽りの過ちがあると説くことができるものはおりません」と。

すると仏は、もう一度以上のことを明らかにしようとして歌と歌われた。

2008年12月16日

法華経現代語訳(9)

『法華経』を読む(2) 授業配布プリント(8〜9)(12月16日授業分)

そこで、(父親は)次のように(子供たちに)言った。
「お前たちよ、よく知るが良い。私は今すでに衰え老いて、死ぬべき時がやってきた。この良い薬をここに置いていくので、お前たちはこの薬を手にとって飲みなさい。(病気は)治らないのではないかと心配する必要は無いのだ」と。

このように教え終わって、再び他国に去り、(そこから)使いのものを送らせ、(使いは子供たちのもとに)戻って(子供たちに)次にように言った。「あなた方のお父さんは既に亡くなりました」と。
すると子供たちは、父親が(自分たちの希望に)背いて、亡くなった事を聞き、大いに

(9)
憂い悩んで次のように考えた。「もしも、お父さんがご健在ならば、私たちを護り憐れんで、お救いくださることだろう。今、私たちを棄てて遠くの他国で亡くなってしまわれた。自分たちのことを思うに、孤独で誰も護ってくれず、頼むべき人もいない」と。

常に悲しい気持ちに沈んでいるうちに、ようやく父の言葉に気がつき、色・香の優れたこの薬のことを知って、手に取り、それを飲んだところ、毒による病気はすっかり治ってしまった。

(一方)父は(遠国にいて)すべての子供たちが治癒したことを聞いて、そこで(遠国から)戻り帰って、子供たちと対面した。(という喩えのようなものである)

法華経現代語訳(8)

『法華経』を読む(2) 授業配布プリント(8)(12月9日授業分)

それらの子供たちのうち、正気を失っていないものは、この色も香も優れた良薬を見て、直ちにそれを飲んで、病気はすっかり治り癒えたのであった。(ところが)その他の正気を失ったものたちは、彼らの父親が帰ってきたのを見て、喜んで(おかえりなさいと)挨拶をし、病気を治してもらいたいと望んだでいたのだが、(父が)その薬を与えても、あえてそれを飲もうとはしなかったのである。

何故かと言うと、毒の効き目が深くまで入り込んでしまい、正気を失っていたからであった。(それ故)優れた色と香のあるこの薬に対して、優れたものとは思わなかったのである。(そこで)父親は次のように思った。<この(薬を飲もうとしない)子供たちこそ、不憫である。毒にやられて心が逆転してしまっている。(それ故)私が帰ってきたのを見て、喜んで治療を望んだのに、このような優れた薬を目の前にして、あえて飲もうとしない。私は今から方便を使って、(彼らに)この薬を飲ませたい。>

2008年12月02日

法華経現代語訳(7)

『法華経』を読む(2) 授業配布プリント(7)(12月2日授業分)

(6)の終わりから
また、諸君よ、諸仏如来の説きたまえる教えは、すべてこのようなことであって、衆生を救済するためのものであるから、
(7)
すべて真実であり、偽りではないのだ。

それは例えていうと次の譬えのようなものである。

 (あるところに)優れた医者がいて、その智慧は聡明でよく物事を知り、薬の処方にとても精通し、あらゆる病気を治すことができるのである。その医者には、多くの子供がおり、10人、20人、あるいは百人以上であった。ある事情によって、遠くの他国に行くことになった。(その医者の)多くの子供たちは、その後(父の留守中に)毒薬を飲んで、その薬の効き目が現れて、もだえ苦しみ、地面を転げまわるほどであった。

 すると、そこに、父である医者が戻ってきて、家に帰えりついた。多くの子供たちは毒を飲んでいるので、あるものは正気を失い、あるものは正気を失わずにいたが、帰ってきた父親をはるか遠くに見て、皆大いに喜び、恭しくひざまずき、お願いするように挨拶した。「ようこそ、ご無事でお帰りくださいました。私たちは、無知なために間違って毒薬を飲んでしまいました。お願いですから、(私たちが)助けられ、その上いのちを永らえますように」と。

 父は、子供たちが先ほどのように苦しんでいるのを見て、様々な正しいやり方によって、優れた薬草の色や香りやよい味が備わっているものを探して、すり潰しふるいにかけて調合して(薬を作り)、子供たちに与え、飲まそうとして、次のように言った。「この勝れた薬は、色や香や良い味がすべて備わっている。君たちは、この薬を飲むが良い。ただちに苦しみが無くなり、多くのわずらいもなくなるだろう」と。

2008年11月25日

法華経現代語訳(6)

『法華経』を読む(2) 授業配布プリント(6)(11月18・25日授業分)

(5)の終わりから
(実の滅度ではないのに、滅度するという方便を用いるのか)その理由はなぜかというと、もしも仏がこの世にずっと存在したならば、
(6)
功徳の薄い人は、(仏に遭うという)善根を植えることが出来なくなってしまう。(相変わらず)貧しいまま、みすぼらしいままで、この世の欲望(五欲)に執着して、自分勝手な考えと間違った考えの網に絡めとられてしまうことになるからである。
もしも、如来は永遠で常に存在していつでも遭えるのだと考えてしまうと、たちまち舞い上がった考えを起こして、(今すぐでなくてもいいとの)怠け心を持ち、(仏には)遭いがたいのだとか、大切にしなければならないという心を生ずることが出来なくなってしまうからだ。

それゆえ、如来は人々を導く方便として次のように説くのである。「比丘たちよ、諸仏の出世に遭うことは、大変困難なことであるとよく知るべきである。なぜなら、功徳の薄い人は、無量百千万億劫ものとてつもない時間を過ぎても、仏に出遭う人もいれば、仏に出遭うことができない人もいるのだ」と。

そのようなわけで、私は次のように説くのである。「比丘たちよ、如来を見奉ることは、極めて困難なことなのだ」と。すると、(いつでも遭えると思って怠け心を起こしている)先のような人々も、このような言葉を聞いては、必ず遭い難い仏に出遭うのは今しかない(と思って)、仏を慕う気持ちを抱き、仏に遭いたいと熱望するようになるであろう。すると、その結果、善根を植えることになるに違いない。

それゆえ、如来は、真実に滅度するわけではないが、それにもかかわらず「滅度する」と説くのである。

2008年11月13日

法華経現代語訳(5)

『法華経』を読む2 授業配布プリント(5)(11月11日授業分)

(4のおわり)
理由はなぜかというと、如来は(衆生が住んでいる)三界(欲界・色界・無色界)の
(5)
すがたを真実によく知っているからである。
そこには、退没したり、そこから救済されたりするような生死なるものは(本来)存在しない。また(如来の身は)世の中に存在するとか、涅槃に入るということも(本来)存在しない。形の有るものでもなく、無いものでもない。如でもなくそうでないのでもないのである。(衆生が)三界と見ているようなものが三界(の真実のすがた)なのではないのである。

このようなことは、如来のみが明らかに見るところであって、過ちがないのである。(その上で如来は)衆生には様々な性質や、様々な望みや、様々な行いや、様々な考えの違いがあるから、色々な因縁譚や、たとえ話や様々な言葉を用いて、(衆生に)善根を生じさせようとして、種々に法を説くのである。

そして、このような仏の行いを、(私は)これまでに少しも休んだことがないのである。このように、私は成仏してからこのかた、今日まで極めて大きな時間(が経ったの)であり、(私の)寿命は無量、阿僧祇劫にして常に存在し、決して入滅することはないのである。

諸君、私が昔、菩薩道を実践して、完成した(如来の)寿命は、今ここで尽きるようなものではなく、先ほど示した膨大な数量の、倍ほどもあるのである。

それにもかかわらず、今(私は)真実の入滅ではないのであるが、「(私は)まもなく滅度に入るであろう。」と宣言する。如来はこのような方便によって、衆生を教化するのである。その理由はなぜかというと、・・・・・・・

2008年11月04日

法華経現代語訳(4)

『法華経』を読む2 授業配布プリント(3〜4)(11月4日授業分)

(3のおわり)
 諸君よ、もしも私のところにやって来る衆生がいたときには、私は仏眼によって、彼らの信じる力
(4)
などの能力の優劣をよく観察して、その人の能力に応じて様々に、名前の異なりや、期間の長短によって説くのである。また、涅槃に入るべしと説いたり、また、様々な方便の教えによって奥深い真理を説いて、彼ら衆生によろこびの心を起こさせるのである。

 諸君よ、如来は功徳が薄く煩悩が厚いために、初歩的な教えを求める多くの衆生を見た時には、(奥深いことを説いても意味が無いので)私は若くして出家し、(修行して)さとりを得たのだと説いたが、実は永遠の昔から仏であったことは、既に説いたとおりである。ただ、方便によって衆生を教え導き、仏道に入らせようとして、そのような説をなしたのである。

 諸君よ、如来が説きたまえる教典は、すべて衆生を(迷いの世界から)救い出すために、あるときにはわたしとして説き、あるときには他の姿として説き、あるときにはわたしの姿を示し、あるときには他の姿を示し、あるときにはわたしのこととして説き、あるときには他のこととして説くのである。
 これらの様々な教説は、すべて真実であって、偽りではないのである。なぜかというと、如来は・・・・・・

2008年10月28日

法華経現代語訳(3)

『法華経』を読む(2)授業配布プリント(3)(10月28日授業分)

私たちは、既に不退転の境地に立つものどもですが、今仏がお説きになったそのことについては、やはり理解することができません。世尊よ、そのような世界の広さ大きさは無量無辺としか言いようがありません」と申し上げた。

すると仏は、偉大なる菩薩たちに次のようにお説きになった。
「諸君よ、今、当に私は君たちによく分かるように説きたい。
(仮に)この世界の、埃にまみれた世界や、埃のない世界のすべてを粉々にして塵とし、一つの塵を一劫だとしよう。
私が成仏してからの時間は、このすべての塵の数の劫よりも長くて、百千万億、那由他、阿僧祇劫なのである。それ以来ずっと私は、常に此の娑婆世界にあって、説法教化してきたのである。
また(この娑婆世界のみならず)他のあらゆる百千万億、那由他、阿僧祇の国々においても、衆生を導き教えてきたのである。
諸君、その(無限の昔に成仏してより今日までの)中間に、私は、燃灯仏から授記を受けたことや、そのほかにも涅槃に入ったことなどを様々に説いてきたけれども、それらのことはすべて、衆生を教えるための方便として説いたものだったのである。
諸君よ、・・・・・」

2008年10月21日

法華経現代語訳(2)

『法華経』を読む2授業配布プリント(2)(10月21日授業分)
(1)から続く
(今の釈迦牟尼仏は、)釈迦族の宮殿(カピラ城)から出家して、ガヤ城にほど近い菩提道場に坐って、正覚を得たと思っているようだ。しかしながら、諸君よ、私が成仏してからこのかたは、無量無辺の数限りない時間が経っているのだ。それは譬えるならば次のようである。

もしもある人が、五百千万億那由他阿僧祇という途方もない数の三千大千世界をすりつぶして粉々にし、東に向かって五百千万億那由他阿僧祇という途方もない数の一国を過ぎるごとに、一粒ずつその粉を置いていって、そのまま東にどんどん進んで、この粉を全部なくそうとするようなことは、諸君の考えで一体どうであろうか。このような世界(の大きさ広さ)は、(諸君の)考えや計算によって、知ることが出来ますか、出来ませんか?」と。

すると弥勒菩薩らは、全員一緒に仏に申し上げた。「世尊よ、そのような世界は無量無辺であって、そもそも計算や認識の及ぶものではありません。また、すべての声聞・辟支仏の純粋な智慧によっても、そもそも、その全体の数量を考えつくすことは到底出来ません。・・・・・」

2008年10月15日

法華経現代語訳(1)

 久しぶりで、ちょっと恥ずかしいです。こんにちは。

話が飛びますが、後期火曜日1限で「『法華経』を読む2」を担当しているのですが、「授業では詳しい訳をやってくれないのですか?」という質問がありました。受講者がとても多いですからプリントしても全員に配布できそうもありまませんから、これからここに書き込んでいきます。

質問がある人は、授業で聞いてください。

『法華経』を読む2授業配布プリント(1)(10月14日授業分)

妙法蓮華経如来寿量品第十六(鳩摩羅什漢訳、織田顕祐現代語訳)
(弥勒を始めとするおおぜいの菩薩が不思議に思った)その時に、仏は諸菩薩とすべての人々におっしゃいました。「諸君、あなた方は、如来の真実の言葉を聞き取りなさい」と。
もう一度人々におっしゃいました。「諸君、あなた方は、如来の真実の言葉を聞き取りなさい」と。
さらにもう一度人々におっしゃいました。「諸君、あなた方は、如来の真実の言葉を聞き取りなさい」と。

すると、弥勒菩薩を始めとする菩薩たち・人々は合掌して仏に申し上げました。「世尊よ、お願いですからお説きください。私どもは仏のお言葉を正しくお聞き申し上げます」と。
(菩薩たちは)このように三回申し上げ、もう一度、「世尊よ、お願いですからお説きください。私どもは仏のお言葉を正しくお聞き申し上げます」と申し上げた。

すると世尊は、この菩薩たちが何度も何度も求めて、決してやめようとしないことをお知りになって、彼らに次のようにおっしゃった。「諸君、如来の秘密と不可思議の力のことを良く聞きなさい。この世の天人や人間・阿修羅たちは、今、目の当たりにしている釈迦牟尼仏は、・・・・・・」

 

ラベル:法華経